教える側と教わる側のサインの交換

こんにちは。オフィス謝府礼の阿部です。

少し前のことになりますが、訪れていたクライアント先で事務長との打ち合わせ中にちょっとした事件がありました。

 

▽教える側、教わる側の思いの行き違い

午後…普段は明るい雰囲気をまとっている総務の女性スタッフが、目にうっすらと涙を浮かべながら事務長を呼びに来たので、すぐになにかトラブルがあったことを連想させましたが、どうやら、半年ほど前に入職してきた男性スタッフとの間で、仕事を教える過程でその女性スタッフが彼に対してキレてしまったことが涙の原因のようでした。

不幸(?)にしてその場に居合わせてしまった私は両者の話しの聞き役を仰せつかることになりました。そこで、お二人の話しをそれぞれ聞いてみると、責任感の強い女性スタッフはこの半年間一生懸命業務を教えてきましたが、いざフタを開けてみたら、思いのほか伝わっていなかったことに歯痒さを感じたこと。また男性スタッフが大人しいあまり、分からないことがあってもあまり聞いてこなかったこと、そのことに対して自分の感情が先に立ってキレてしまったことなどが重なって、涙してしまった背景があったようです。

男性スタッフのほうは何度も聞くのが申し訳ないという思いがあった一方、教わる内容が多岐に渡るなかで、いま教えてもらっていることがその仕事のどのあたりの行程なのか、上手く地図が描けていないことが、彼の理解を妨げている要因となっているようでした。

 

教える側と教えられる側。それぞれのちょっとした思いのすれ違いが積み重なった結果の出来事でしたが、改めて考えさせられる事柄でもありました。

仕事を教えるというシチュエーションだけではなく、人前で話す、あるいは提案するという場面では、相手の理解度を確認しながら話しを進めていくということが重要になります。もし途中で話しが通じていないと思ったら詳しい説明を加えていく必要があり、こうした作業を行っていないと「質問がないから理解していると思っていたら、実は伝わっていなかった」ということは往々にしてありえるので注意しなければなりません。

 

 

▽「教える」は「教えられる」こと

ところで、教えられる側は教える人を選ぶことはできません。不幸にして、教えるのが下手な人に教わってしまうことになった場合には運のなさを呪いたくもなりますが、今回のケースはそうしたものではありませんでした。

結局のところ、教える側も教わる側もお互いにサインを出しあいながら、理解している/わからない、といったサインを交換しあう「協調作業」が成立しないことには、より良い成果を望むことができません。

 

教えるのが上手い人は絶対的に教えるのが上手、という訳ではなく、ひょっとすると教わる側の教わり方が優れているから、良い成果が得られたということもあるかもしれません。

植物の芽が芽吹き始めたとき、はやく伸びてほしい思いが強いばかりに、その芽を引っ張ると芽を摘んでしまう結果になるように、相手の成長速度にあわせて教えること。以前どこかで聞いた、そんな話を思い出した一場面でした。

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