インフラとしてのハコものだけで良いのか

こんにちは。オフィス謝府礼の阿部です。

タイトルの「インフラ」とは「インフラストラクチャー」の略で、「産業や生活の基盤」のことを指しています。インフラには道路や水道、電話線やインターネット回線といった生活的インフラもあれば、病院や介護施設といった社会的なインフラがあります。

 

▽インフラ設備の現状

ところで今、このインフラがいろいろな面で分岐点を迎えています。高速道路や橋そして水道といった、私たちの生活を豊かにしてきたインフラは日本の成熟とともに老朽化を迎えており、修理や整備をしなければならない状況にあります。

数年前、中央高速道路の笹子トンネルで起きた天井版の崩落事故がとくに記憶に新しいところですが、足元では水道管の老朽化といったことも問題になっています。また、老朽化そのものの問題の一方で、設備を修繕あるいは維持管理をしていくための経費の問題があり、そこに人口減少により世帯数が減っていくことで税収が減ることで、料金そのものをあげなければ今の設備を維持できないという問題があります。

 とくに水道は生命に直結することから自治体が所管するものの、こうした背景から民間に委託しようという、いわゆる「コンセッション」が2018年に成立しました。

 

 

▽ 社会的インフラとしての医療介護施設

振り返ってみれば、介護保険制度も行政の措置サービスという位置づけから、広く民間に門戸が開かれるなかで成長してきました。もともとは、低所得者向けの福祉制度(措置制度)として行政が所管していたものを、高齢化による社会保障費関連の負担を軽減させるため、国民による負担と国による給付を明確にした社会保険方式に切り替え、さらに介護サービスへの参入を民間に開放し、民間の力を活用することで成長産業に据える…。

国の意図はこのようなところにあったと認識しています。しかし実際には介護従事者の平均年収が他の産業と比べて圧倒的に低いことなど、成長産業と呼ぶにはあまりにお寒い現状がこれまで続き、働き手が定着しないといった負の側面がクローズアップされてきました。

 実際、高齢者を受入れるための居住系介護施設などが多くつくられてきましたが、一部で需要と供給の逆転現象が起きていることは想像に難くありません。数年前の話しになりますが、ある政令市が特養(特別養護老人ホーム)の待機ゼロを政策として建物や居室数を増やしたものの、働き手としての介護士不足から、120室ある部屋の8割ほどしかオープンできない、といった施設もありました。

 

▽縦割り意識の弊害

上記で述べたようなことは「建物を建てるのが我々の仕事であとのことは知らない」、といわんばかりの趣旨があるように感じます。

確かに専門外のことに口を出すのはお門違いという謙遜もあるのかもしれませんが、地域の事情や特性(人口構成や所得、企業活動等)など多角的な視点も踏まえたうえでの開設計画がなければ、その先に待っているのは負担の先送りでしかありません。

今年(2022年)1月21日の日本経済新聞に国債の利払い費が将来増えるといった記事が掲載されていました。新型コロナの感染拡大で沈んだ経済を支えるための措置ということもあり、コトの是非をここで述べるつもりはありませんが、このような現状にあることを鑑みても、「自分たちさえ良ければいい」という考えをほんの少し見つめ直し、自分の持てる力の何割かを社会の発展のために振り向け使うことが大切なのではないかと考えています。

 

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