「看取り」について、実務と制度の狭間で考えたこと

こんにちは。オフィス謝府礼の阿部です。

今回は、先日クライアント先の病院さんから問合せがあった、「看取りに関する指針」についての私の考えを書いてみたいと思います。

 

▽背景

ご存知の方も多いと思いますが、2018年の診療報酬改定で「療養病棟入院基本料」、「地域包括ケア病棟入院料1・3」、「在宅ターミナルケア加算を算定している医療機関」では、【適切な看取りに関する指針】を作成しておくことが施設基準の要件として新たに追加されました。

施設基準に要件化されたということは、「適切な看取りに関する指針」を作成していなければ、上記入院料や加算は算定できない、ということになりその影響は大きくなります。

なぜ、このような指針の作成が義務付けされたのか。一つには、これから訪れる多死社会の到来があります。

 

 

2025年に団塊の世代約800万人が75歳以上の後期高齢者となり、その後団塊ジュニア世代が高齢者になる2040年にかけて、日本の高齢化は一気に進みます。しかし、日本社会の特性なのかもしれませんが、死についてオープンに話される機会は決して多くありません。

尊厳死が言われる一方で、日本では積極的安楽死は認められていないなか、過去には富山県の射水市の市民病院では、当時の外科部長が50~90代の患者7人に対し、病院側に告げることなく人工呼吸器を外し、全員を死亡させるという事件が発生しました(2005年)。

この事件を発端に、尊厳死の議論は活発になり、2007年には厚労省により「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」が取りまとめられ、その後「人生の最終段階における医療の決定プロセスにおけるガイドライン」と改称され、現在に至っています。

 

▽実務上の問題か、制度上の問題か

冒頭のクライアント先からの相談は、指針の作成にあたり、同意書や事前の確認書は必要なのか?というものでした。結論から言えば、答えはNoでもあり、少しYesが混ざるというのが私個人の見解です。

クライアント先としては、実務上、緊急時の確認書はすでにとっているし、加えて緊急時には電話で再確認をし、そのやり取りをカルテに記載しているので、これで十分足りるのではないか、というのが問合せの趣旨のようでした。このこと自体にまったく異論はないのですが、昨今の流れであるACP(アドバンスケアプランニング)の考え方からすると、少しだけ足りないように思えるというのが私の意見でした。

ここでACPの詳細について触れることは割愛したいと思いますが、ACPの考え方には、患者あるいは家族の考え方は揺らぐ、という前提があることは見逃せない事柄だと理解しています。

実際、元気なうちは何かあったら延命などしなくてよい、とは言っていても、いざという場面で苦しむ姿を目にした際に気持ちが揺らいでしまったり、あるいは最後の場面を間近にして疎遠になっていた兄弟や遠い親戚が登場し、話しをややこしくすることは実際に起こりえることでもあります。

とくにお金が絡むということは、見逃してはならない事実です。どのような形にせよ、命がある間は年金がありますが、亡くなった途端に年金はなくなったり、遺産相続という形にその姿を変えてしまいます。

こうなったとき、存命なうちに患者本人は何をどのような結末を望んでいたか、あるいは家族の決心は当時と変わることはないか、という点で同意書は交わしておくことが有効になってくるという事実があります。

 

▽個人的意見として

クライアント先の認識の例でいえば、事前に確認はとっているので問題はないと理解しています。しかし、いざ緊急時を迎え電話で確認をとるとなったとき、事前の確認が1年前であったり、半年前であったりした場合、その考えに変化がないといえるでしょうか。

この1年の間に、何らかの事情で身辺の状況が変わっていたりすると、心変わりがないとも言い切れません。こうしたことに備えるためにも、ACPの考え方の一部を取り入れ、患者さんの状態に何らかの変化があった時や、入院が長期に及びこの間とくにコミュニケーションがとれていないといった場合には、定期的に同意をとっていくことが有効だと考えています。

 

▽おわりに

ACPの考え方はまだ新しい考え方であり、今後どこまで浸透していくかは分からない段階です。ACPの議論でいえば、「人生会議」のポスターを巡り厚労省は芸人さんを起用したポスターの初動で失敗しています。

私たち日本人は、死や性といった部分で欧米諸国とは異なる考え方を持っていることは明らかな一方で、一部の文化だけが欧米化しているアンバランスがあるように感じています。

今回はクライアント先との議論の例から私の考えを述べさせてもらいましたが、家族という社会の最小単位のコミュニティにおいて、確かにもっと、家族の死とその後ということについてもっと積極的な会話があってもよいのではないかと思っています。

 

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