名もなき誰かの仕事が世界をつくる

こんにちは。オフィス謝府礼の阿部です。

新型コロナウィルス感染症の世界的流行は、これまで常識とされていたことや目に見えず意識されなかったことのいくつかを白日の下に晒し、私たちに考えを改める機会を迫ってきました。

サプライチェーン(供給網)の混乱ということもこのうちの一つで、生産と物流が複雑に絡みあった世界が構築されてきたなかで、ある国で感染が拡大すれば生産が止まり、あるいは物流が滞りモノが不足したりしたことで、供給と需要のバランスが崩れ、モノの値段の上昇という副作用を生む契機にもなっています。

 

 

 

▽属人的な営みの脆弱性

ところで、多くの組織、とくに大企業では仕事というのは脈々と受け継がれてきた枠組みのなかで体系化されているので、与えられた仕事、やらなければならない仕事は常に目の前に用意されているのが通常だと思います。

 医療機関や介護施設の多くはこうした企業と比べると、(大学病院や国公立の病院などを除けば)民間の力を中心に構成されており、施設毎に仕事のやり方に差があるものです。

結果、治療ということは別にして、組織としての仕事の仕組みは属人的なものになりがちで「AさんがいなくなりBさんが入ってきたら別のやり方に変わってしまう」、などして生産性が上がりにくいという結果が生じやすい背景があり、とくに人の入れ替わりが激しい組織ほどこの傾向が強いと認識しています。

 

 

▽マニュアルや標準化は型にハマった人物を欲するわけではない

こうした負のサイクルの流れを変えるには、誰かが業務を可視化し、マニュアル化したり、標準化していくことが必要になります。多大な労力を必要とするものですが、自分たちの仕事場において、こうした事実があることから目を背けて、「日々に与えられた仕事だけを処理していく」という姿勢だけで良いのか、立ち止まって考えることも大切なことだと思っています。

 

環境問題が良い例かもしれません。いまのまま各国がなんの対策も実行しなければ、世界の平均気温は1.5度~2度上昇するということが言われています。昨年の夏にはギリシャでは高温による大規模な山火事が発生し、アフリカ地域では水不足による政府批判のデモがおき、一方では海面の上昇により低地にある街では浸水被害が深刻化する事態が世界のあらゆる地域で起きています。

 少し話は飛躍してしまっているかもしれませんが、マクロ的な問題の背景は集約されたミクロの問題が極大化したものであり、私たち一人ひとりが意識した活動をしなければ、私たちの後世が大変な思いを背負っていくことにもなってしまうのだと感じています。

 

 負のサイクルの流れを変えるのは必ずしも英雄的人物による働きではなく、私たち一人ひとりの意識の方向性、思いを行動に転嫁していくエネルギーにあると考えています。いまいる場所の景色を変えられるのは、いまを生きる私たちではないかと思っています。

 

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